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インタビュー

人の感じ方と現実のズレを科学する

武道を中心とするスポーツの指導の過程で言われてきた呼吸の重要性。特に剣道の指導では、吸う息を短く、吐く息を長くすることが相手に隙を与えないことだということを伝えるため、「吸うは虚の息、吐くは実の息」と表現され、口承されてきました。一川教授は、認知心理学の手法を用いて呼吸と注意力の関係を調べ、このような呼吸法が注意力を高める機能をもつことを科学的に示し、その論文を専門雑誌『VISION』にて発表しました。今回、研究プロジェクト全体の背景について一川教授にお話を伺いました。

生物の戦略としての感じ方の規則性

──時間の感じ方、視覚的な注意力など、幅広い対象を研究の対象にされていますが、共通する問題意識はどういったところにあるのでしょうか。

一川:人間の感じ方や行動の特性に関心があります。感じ方の基礎にあるルールや現象の特性を知りたいと、体験される時間や空間の特性などを研究対象にしています。時間を実際より長く感じたり短く感じたりする場合、どのくらいまで感じ方を長くしたり、短くしたりできるのか、あるいは、解像度をどのくらいまで上げられるのか、といったことを調べています。例えば、交通事故に遭った時に世界がスローモーションで動いているように感じることがありますよね。これは世界を見るときの心の時間の解像度が上がっているということなので、どこまでそれを上げられるのか、上げるための条件は何なのかを調べています。

──実際の時間の長さと感じている時間の長さが大きくずれることがあるのは不思議なことですよね。

一川:物理的な特徴と感じている内容は大体ズレるのですが、大きくズレるのは錯覚や錯視と呼ばれます。ズレるということは、人間や動物が環境の中で適応するためにとってきた戦略の現れだと思います。その基礎にある過程には合理性があるはずで、合理的に説明できるルールを知りたいと思って研究を進めています。

──一般に、人が恐怖心を抱いた時に世界がゆっくり進んでいるように感じられるとも言われます。

一川:これまでの研究では、確かに恐怖心に軸を置いている説が多かったのですが、感情の軸は、快適感と不快感という軸と、リラックスと覚醒の軸があると伝統的に考えられています。私たちの研究では、後者の軸で覚醒度が高い方が時間解像度が上がるのではないかという結果がいくつか出てきています。例えば、スポーツ選手でも調子が良い時にはボールが止まって見えるという話は昔からありますよね。恐怖を感じなくても時間の解像度を上げられれば、人間の能力を上げることにも使いやすくなるのではないかと思っています。

──確かに、熟練のスポーツ選手の間では、ゾーンに入っているという表現も聞かれますね。

一川:まさにゾーンです。ゾーンの中でも時間の解像度が本当に上がっているのかについていくつか戦略的な方法で調べると、確かに簡単な方法でも10%ぐらいは時間解像度が上がります。これは感情をコントロールして時間の解像度を調べた実験ですが、注意の効果でも上がるのかということも調べています。 例えば、感情を煽ったり注意を惹きつけたりするような動画を見せて、その動画中のちょっとした変化に見ている人が気がつくかどうか、という実験をしています。

 

武道における呼吸の重要性

──今回の研究では、呼吸と注意の関係がテーマになっていますが、呼吸を心理学的に見る観点は新しいのではないでしょうか。

一川:そうだと思います。スポーツ科学ですと、呼吸については70年〜90年代くらいから日本でも研究がされてきたようですが、心理学だとほとんど手つかずの研究領域でした。

──吐く息の重要性について明らかになった実験の概要について教えて頂けますか。

一川:今回の実験では、参加者に以下のような6枚の画像を順に見せて、ターゲットのところで表示された位置に対応する左右どちらかのキーを出来るだけ早く押すことを求めました。途中で矢印や、枠が明るくなるような手がかりを出すのですが、これがターゲットに対する正しい手がかりになっている時と、間違った手がかりになっている時があります。参加者には、息を吸いながら、あるいは吐きながらこの課題を行ってもらったところ、息を吐いている時の方が概ね速く反応できることがわかりました。

Prof.Ichikawa実験で用いた動画像

手がかりの種類として、矢印と明るさの変化を設けたのは、自分で狙いを定める注意と思わず惹きつけられる注意の2種類を区別するためだったのですが、自分で狙いを定める注意に関しては、息を吐いている時の方が、手がかりが正しい場合には反応がより早まり、手がかりが間違っている場合でもそれほど遅れないという結果になりました。思わず惹きつけられる注意の場合は、間違った手がかりだった時に、吐く息の方が反応が遅れたのですが、それ以外の条件では吐く息の方がより速く反応ができていました。

──フェイントのような動きに注意しさえすれば、息を吐いている時の方が概ねあらゆる動きに対応できて有効ということでしょうか。

一川:そうですね。認知心理学では自分で狙いを定める注意を「内発的注意」、思わず惹きつけられる注意を「外発的注意」と呼んでいます。バレーボールを例にとると、相手の打った球に自分で狙いを定める注意が「内発的注意」、予想外のフェイントによって思わず惹きつけられる注意が「外発的注意」にあたります。実際にアタックを打ち込まれる場所とは別の場所に相手チームの選手がネット側でジャンプした場合、息を吐いて注意を向け過ぎてしまうと相手のフェイントに引っかかって対応が遅れることがあるかもしれません。武道の中で求められるような、自発的に相手の動きに注意を向ける場合には、息を吐いている時の方が有効であると言えると思います。

──剣道の指導法では昔から呼吸の重要性について昔からよく言われていたのでしょうか。

一川:私自身、小学校から高校まで剣道を続けていました。二天一流という宮本武蔵が始めた剣道の流派がありますが、祖父が野田派二天一流17代師範として受け継いでいて、父も都道府県対抗で優勝するような腕前です。彼らから、「吸うは嘘の息、吐くは実の息」というのは指導者の中でよく言われてきた言葉だと聞いています。宮本武蔵が残した『五輪書(ごりんのしょ)』という書物には、そのことについて言及した箇所があるわけではないようですが、剣道指導者たちが経験の中で獲得して、口承されてきたものなのではないかと思います。吸う息と吐く息は違っていて、吐く息と動作とを合わせることの重要性.有効性を指摘したものと思われますが、二天一流の流派以外でも、あるいは剣道以外の人たちでも同様のことが言われているようです。

──吐く息の重要性は、先生ご自身の剣道の経験からも実感できることなのでしょうか。

一川:私自身も剣道をしていましたけど、試合が好きではありませんでした。きっとそれまで美しい剣道の動きの型を間近に見過ぎたせいでしょうね。一本を取ることが目的になると、相手より早く打てばいいと、あまり美しくない打ち方になってしまいます。それで競争していくのも違うなと思って続けませんでした。今は錯覚の研究をしているせいもあり、体験と実際はずれることもあることを知っているので、調べてみないとわからないとは思っていました。大学で学生さんを指導している過程で一緒に議論していて、これは実験になるのではと、昔の関心を引っ張り出してきたという感じです。

数値化と他分野とのコラボレーション

──グローバルプロミネント研究基幹(GP)で推進している研究プロジェクトでも推進責任者としてチームを率いておられます。今回の成果とこの研究プロジェクトとの関連についてはいかがでしょうか。

一川:GPのプロジェクトでは、心の特性と生理的な指標との関連を調べることに取り組んでいます。その中には呼吸も入っていて、それ以外にも体温による代謝の状態や、心拍、脈波などを使っています。特に、普通の状態で生活をしている状態での心の特性とそうした生理的な特性の関係を見ようとしています。今回の論文は、被験者として参加している人自身がコントロールできる呼吸なので、無意識的に行動している時の特徴を調べるテーマそのものではないのですが、反映できると思っています。

──生理的な指標との心理状態の関連性を見るのは、認知心理学の分野でよく行われている手法なのでしょうか。

認知心理学は行動指標を取るというところまでが主な研究の方法論なので、生理データとの関連性を見るというのは心理学の領域からは少しはみ出ているところがあると思います。今のGPのプロジェクトも、認知科学的な志向性が強いものですので、研究チーム内の他の先生方にもコメントをもらいたいと思っています。

──数値で測定できる生理指標を使われていることで、心理学以外の分野での研究の発展にもつながっていそうですね。

一川:そうですね。他の分野の人たちとコラボレーションする形で具体的にできるところだと思っています。最近、ウェアラブルな生体センターが色々と出てきていて、そこから情報を拾うとその人がどういう状態かおおよそ推測できます。そうした活用を他の分野の研究者と考えているところです。

──先生の研究論文は英語の雑誌にもこれまで掲載されていますが、今回は日本語の雑誌ですね。

一川:呼吸法については特に日本の武道で言われていることのようなので、日本の読者の方により広く読んでもらえそうな雑誌ということで今回選びました。この雑誌は出版されるとすぐにPDFがウェブ上に公開されます。今後、研究が発展していけば英語でも書きたいと思っていますが、リアクションは日本人の読者からまずあるのではなないかと思っています。専門の方からコメントを頂いて、またそれを基に次にどう進めていくかの参考になればと思っています。

千葉大学の心理学者

──千葉大学の心理学講座は歴史が長いですが、どんな特色がありますか。

一川:心理学のスタッフが充実していて、もちろん文学部にもいますが、工学部、教育学部、国際教養学部など、各学部で世界的な研究をされている方がおられます。文学部はその中でも特にオーソドックスな、知覚・認知・記憶・パーソナリティ・社会心理学をテーマとする先生方がおられるので、基礎心理学の基本を押さえています。工学部ではデザイン心理学として、プロダクトデザインなどがテーマにされています。教育学部では、教育の現場での心理学の応用がなされています。基礎と応用の両方が千葉大にはあるので、自分の関心と合わせて選べるかと思います。

人の感じ方と現実のズレを科学する学生指導中の一川教授

修士課程で本格的に心理学を学びたい学生に対しても、これまで様々な研究室とコラボレーションをしてきているので、相談していただければアドバイスできます。修士や博士課程の学生さんの指導にあたったことがありますが、例えば、写真を専門とする工学部の院生の研究テーマで、どのようなノイズでクリアに写真が見えるようになるかという人間の見え方の研究について、心理学の観点から指導したこともあります。

──千葉大学は総合大学として、教育学部の所属でも文学部の先生の講義を受講することができますよね。

一川:はい。教員同士で研究会をしているので、学生でも発表を聞きにくることもできます。千葉大の中での心理学教員の連携はスムーズにできていて、GPプロジェクトでもチームに入って頂いています。このプロジェクトでは講演会やワークショップも開催しているので、学生を招いて発表を聞いてもらっています。プロジェクトに入っていない学生でなくても関心があれば是非聞きにきてもらえればと思います。

Interview & Photo:Saori Tanaka

参考文献

参考ウェブサイト